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<ノベル>
▽第壱章 銀幕市時間 十一月二十日 午後四時▽
神裂空瀬(かむさき うつせ)の依頼を受け、九神(くしん)城へと向かった銀幕市民にはふたつの任務が与えられた。
ひとつは鬼王(きおう)軍から九神城を守ること。もうひとつは、使節団の一員として鬼王のもとへ赴き、戦(いくさ)自体を止めること。
前者の任務に就く者たちは、戦いの準備もあり、午後七時に城へ参集することになっている。後者の任務に関しては、一刻を争うこともあり、午後四時には打ち合わせを開始することになっていた。
定められた時刻に姿を現したのは、四名の銀幕市民だ。
まずは続那戯(つづき なぎ)。見るからに軽装で、持ち物といえば一風変わった槍だけ。しかし、彼の最大の武器はその頭脳と口先であることを、皆が知っていた。バッキーのオーエンは膝に乗っている。
つぎにレイ。彼もまたグレーのロングコート以外は、これといった携行品が見あたらない。彼の場合、その武器はすべて体内に秘めている。レイはサイボーグだ。
つづくは神凪華(かんなぎ はな)。彼女は必要最低限の品をバックパックに詰めていた。中には、前回暗殺に使用したサバイバルナイフもある。今回はバッキーも連れている。
最後に清本橋三(きよもと はしぞう)。生粋の武士である橋三は、江戸時代そのままの旅装束に身を包んでいた。いわゆる、三度笠に風呂敷包み、だ。久しぶりに振るうことになるかもしれない刀の手入れに余念がない。
それぞれが車座になり、出立の準備をしながらの会議だった。
「移動するならなるべく夜だな」
那戯がそう提案した。
「軍師殿、その理由は? 鬼王の軍に見つからぬように、ということですか?」
使節の筆頭を務める弦深矢(げん しんや)が腰帯に刀を差しながら訊く。
高天原(たかまがはら)会戦において、空瀬のそばで策を練った那戯は、客将(きゃくしょう)ではなく軍師と呼ばれるようになっていた。
「このメンバーだぜ。奇族どもに見つかっても逃げ切る力はじゅうぶんにある。俺が気にしてんのは、そっちじゃねぇんだ」
那戯が視線を飛ばした先には、華がいた。彼女は静かにサバイバルナイフの刃先を眺めていたが、那戯の視線に気づいて顔を上げた。
「前回、私の仕事に茶々を入れた男か?」
「そうだ」
華は鬼王軍の将軍を暗殺したことがある。その際、明らかにこの世界の住人ではない人物に邪魔をされたのだ。
「何者かはわかんねぇが、そういう輩がいるってことだけは確かだ。しかも、そいつらは文明の利器ってもんを使いこなしてたって話だぜ。遠くから監視システムでも使われた日にゃあ、こっちの動きは丸見えだ」
「文明の利器と言えば、暗闇でも物を見る絡繰(からくり)があるのでは?」
橋三が疑問を呈する。時代劇出身とはいえ、さすがにそういったものにも詳しくなりつつある。
「暗視ゴーグルの類は、それほど遠くまで見通せるわけではない」
那戯の代わりに華が答えた。さすがに現役の傭兵だ。
「闇夜の鴉、か。しかし、それではこちらも同じく見えぬのでは?」
「そこは、ほれ、こいつがいるからな」
那戯が親指でさすと、レイは少しむっとした表情になったものの、簡単に説明をした。
「俺の左目は特別製でね。この世界の暗視装置なんかよりは、遙かに夜目が利くのさ」
「そういうこった。レーダー代わりのこいつがいる限り、夜の方が俺たちに有利だ」
断言する那戯に、深矢は全幅の信頼を置いて決断した。
「わかりました。陽が落ちるのを待って出発しましょう。移動手段はどうします?」
深矢が最も期待していたのは、この移動手段ったのだが、これに関してはあまり良いアイディアは出なかった。
「そもそも市役所のトイレのドアだぞ。乗り物など通るはずがない」
理由は、華が断言したとおりだった。車やバイクなどをバラバラに分解して持ち込み、こちらで組み立てる方法もあったが、今回はそこまでする時間もない。
「それでは、馬しかありませんね」
嶺裏夜鞍(れいり やくら)がすぐさま選りすぐりの駿馬を手配するよう部下に指示を出した。
「距離を計算してみるに――」
華がサバイバルナイフを車座の中心へと向けた。そこには、夜鞍が準備した周辺地図が広げてある。
すいっと、切っ先が地図上をなぞる。九神城から敵の出城へと。
「このメンバーなら、休憩時間を削れば五日で着くな。もちろん茶々の入り具合にもよるが」
「それは、軍馬を潰さない程度に走った場合。今回の任務に限って言えば、そのようなお心遣いは無用です。全員に二頭ずつ馬を用意させます」
夜鞍の言葉に「では、三日だな」と華は計算結果を変更した。
「だが、三日で出城に到達できたとして、この城はそれまで持ちこたえることができるのか?」
いくら傭兵といえど、城攻めなど経験したことはない。そこまでは計算できなかった。
「その点は、まったくもって問題ねぇ」
那戯がパタパタと手を振る。
「必要とあらば、九神城は何ヶ月でももちこたえることができる。理由はいくつかあるんだが、一番大きいのは補給だな。銀幕市とつながっているあの扉がある限り、無尽蔵に物資の補給を受けられるからな」
「お気づきでしたか」
深矢が感心したように言うと、
「あの空瀬がなんの勝算もなしに、こんな策を実行するわけねぇよ」
那戯は楽しそうに笑った。
「にしても、早く戦争が終わるに越したこたぁねぇけどな」
その場に居た全員が、無言でうなずいた。皆、少しの緊張と大きな自信に満ちあふれた顔だ。
夜鞍のもとに部下が駆け寄り何事かを報告する。
「馬の準備ができたようです。客将殿、手綱の取り方は?」
「俺様をだれだと思ってやがる」
と、那戯。
「前回修得した技術のひとつだな」
と、華。
「武士に対して愚問」
と、橋三。
全員の視線がレイに集中する。サイバーな彼に乗馬はいかにも不釣り合いだ。
「乗り方の見本を見せてくれりゃ乗れるんじゃね? あ、俺のぶんは三頭頼むぜ」
怪訝な様子の夜鞍に「ダイエットしなきゃとは思ってるんだがな」と軽くウィンクしてジョークをとばした彼だったが、ダイエットという言葉からして伝わらない。きょとんとしている夜鞍。
「夜鞍殿、レイ殿は身中に絡繰を埋め込んでおるゆえ、ふつうの者より重いのだ」
生真面目に説明する橋三が、とどめを刺した。レイは「ったく、調子が狂うぜ」とかなんとかブツブツ言いながらそっぽを向くしかなかった。
▽第弐章 銀幕市時間 十一月二十一日 午後八時▽
深矢一行が襲撃に遭ったのは、銀幕市時間で二十一日の夜のことだ。九神城を出発して丸一日の強行軍のあとで、全員に疲労の色が濃くなる頃合いであり、軍馬の最初の一頭がよろめき出す頃でもあった。
針葉樹の林を、道が蛇行しながら走っている。道といっても人馬が並んで通れるほどの広さしかない。月明かりが照らしているとはいえ、あまりスピードを出すのは危険だった。
先頭を深矢、それにつづいてレイ、那戯、華、夜鞍、橋三の順に馬を走らせている。
二番手を走っていたレイが馬の腹を蹴り、先頭の深矢と鼻先を並べるように前に出た。
「馬を休憩させるチャンス到来だぜ」
レイの天の邪鬼な物言いを理解し、深矢の両目が細められる。闇を見透かそうとしているのだが、瞳にはなにも映らない。
「あんたの目じゃ無理だ」
レイの左目が告げていた。サーモグラフィーの映像に不自然な人影が浮かび上がっていることを。人間ではない。体温とは考えにくい数値が表示されていた。
「奇族ってのは、人族よりも体温が低かったりするか?」
深矢はかぶりを振った。
レイは襲撃者の姿を視界の端にとらえ、カメラモードを暗視および望遠に切り替える。
「スーツ姿の男……に見えるが、はてさて」
さらにキルリアンセンサーを起動する。不可視のモノのオーラを感知するセンサーに、その男は反応を示さなかった。
「霊体とかそういったもんでもねぇな。すると――」
レイの口元が笑いの形に歪んだ。
「俺の同類ってことか」
「状況を教えてくれますか?」
深矢が速度を下げずに馬を寄せる。こちらが気づいていることを相手に悟らせないためだ。
「距離は――」
小声で言いかけ――一瞬後には馬上で振り返り仲間に向かって叫んでいた。
「みんな散れ!」
ひゅんと打ち上げ花火の上昇音めいたものが鳴り、ごうっと地面が悲鳴を上げた。
炎の塊が四方八方に飛び散り、木々を焼き払う。熱風が銀幕市民と乗馬を吹き飛ばした。
どう考えても敵の砲撃だった。
「全員無事か?!」
那戯が声をかけると、あちこちからはっきりと五人分の返事がかえってきた。
軍馬はどうなっただろうか。弱々しいいななきが漂う。突然の閃光に目が慣れない。暗闇が濃さを増している。
「レイ! 防げるか?」
次の攻撃を、ということだろう。
「防げるなら、さっきのヤツも防いでるさ」
そのとおりだ。那戯は自分の額を軽くこづいた。受け身は取ったものの、頭を打ってしまったのか、思考がまとまらない。
「二発目が来るぜ!」
この状況ですべてを認識できているのは、レイだけだ。
「俺たちが防ぐ! 夜鞍! 障壁法術を!」
「はい」という答えにつづき、深矢と夜鞍の呪文らしきものが流れはじめる。
「敵の方向と距離を!」
「こっちだ」
数字を伝えるより最も確かな方法で、レイは敵の位置を指し示した。レーザーポインタのような指向性の光線がまっすぐに近くの丘へと伸びる。思った以上に遠い。
今度は、砲弾の発射光を全員が目にした。
「天衣防壁!!」
深矢と夜鞍の声が重なり、巨大な光のカーテンが展開される。壁の外にいた華と橋三があわただしくその後ろに隠れた。
再び炸裂した炎と風は、しかし、法術障壁に阻まれ誰にも危害を加えることができずに散った。
だが、このままではラチが明かない。
「俺が行こう」
橋三の草鞋が地を蹴る。向かう先は、敵が陣取る丘だ。
「短距離の方が得意なんだがな」
狙い撃ちにされないように、華が反対方向から丘へと向かった。
「深矢たちは馬を守ってくれ」
那戯がそう言い残す。数頭息絶えたようだが、まだ気絶しているだけの馬もいるはずだ。これからの旅に彼らは欠かせない。
「やれやれ。走るのは性に合わねぇんだけどな」
レイもまた肩をすくめてからゆっくりと走り出した。
襲撃者の元へと最初にたどり着いたのは、橋三だった。途中何度か砲撃され、髪の毛の先が縮れていたりするのだが、目立った外傷はない。
橋三は、片手にロケット砲らしきものを抱えたスーツ姿の男を視認するやいなや、駆け込む勢いもそのままに抜刀した。
鞘奔る白刃が男の右腕に迫る。
命までとろうとは思わない。武器を無力化する意図での斬撃だった。
その甘さが橋三の首を絞める。渾身の一刀は、男の衣服だけを斬り裂いて、肌の表面を滑った。
「むっ?! 絡繰人(からくりびと)か!」
手応えから相手の皮膚が金属であることを察し、舌を打つ。
男の左手から凶弾が発せられた。いつの間にか銃を取り出している。
なんとか身をよじったものの、弾丸が脇腹をかすめた。
跳びすさった橋三に、第二弾が追いすがる。
弾道が逸れ、数歩離れた地面に弾痕が穿たれたのは、銃を持つ左腕を那戯の長槍が叩き伏せたからだ。
「かたじけない」
橋三は傷口を押さえもせず、刀を正眼に構えなおした。
「こいつぁ、かなりヘヴィな相手みてぇだな」
那戯もまたいったん後方へさがり、自慢の長槍『炮烙(ほうらく)』の穂先を男に突きつけた。
男は橋三と那戯に挟まれた格好になったのだが、別段気にしている風ではない。使えないと思ったのか、携帯式迫撃砲を捨てさえした。
「続那戯か。データ通りだな」
男の口調はひどく事務的だった。
「へぇ、俺様を知ってるのかい?」
おどけた口調だが、口元以外は笑っていない。
返事がなかったのでつづける。
「ま、俺様は有名人だから――なっ!」
語尾は『炮烙』による刺突(しとつ)と同時だ。
男はその槍を、なんと素手でつかんだ。おそるべき動体視力と反射神経だ。いや、マシンボディであれば、たやすい行為かもしれない。
相手が人智を越えた肉体を有しているなら、それをさらに人智でもって越えるのが、那戯の流儀だ。橋三にアイコンタクトをとる。
那戯の行動が囮だと気づいた橋三が、そのすきに斬りかかった。今度は殺意をもって頭頂から唐竹割りに刀身を落とす。
ぞりっと頭髪を剃り落としただけでまたもや刃先が流れた。男には傷ひとつ負わせられない。
「まだ、だ」
那戯が『炮烙』の房飾りを引き、内部に仕込まれた仕掛けを発動させる。槍の穂先で火薬が爆裂し、至近距離での衝撃に、さしものサイボーグもゆらりとよろめいた。
が、よろめいただけだった。
那戯も橋三も、もう一度退かざるをえなかった。
「ったく、効いてねぇな」
「鉄を斬る剣技が必要でござるな」
自らの武器では倒せないことを思い知らされ、二人は次の策を考える。迷走する思考が、唯一対抗できそうなレイの到着を待つという結論に帰着しようとしたとき――
――音もなく気配もなく、彼女が現れた。
月光が、男の真後ろに、黒い美貌を浮かび上がらせる。男の首筋に吐息が触れた。
吐息といっしょに、冷たい刃も。
「ががっ!」
横一文字に引き抜かれたサバイバルナイフが、赤い血潮ではなく、青白い電気を迸らせる。
苦し紛れに振るわれた裏拳を、牝豹のごときしなやかさで軽やかにかわし、華はずり下がったモノクルを押し上げた。肩につかまったバッキーが満足げに鳴いた。
「か、ン……ナぎ、は……ナ」
発声器官をやられたのか、奇妙に電子的な声で、サイボーグはその名を口にした。
「華殿には斬れるのか?!」
橋三がうなる。
「よく見てみろ。継ぎ目がある」
継ぎ目というのは、メタルスキンの隙間ということだろうか。彼女は間近で見て、それを確認したらしい。その間隙を正確になぞることができたのは、一重に彼女の技量だ。
「ふむ、なるほど。やってみよう」
あらためて橋三が柄をにぎる手に力を込める。自信はないが、今はやるしかない。
「俺の槍じゃあ、そんな細かいところは狙えねぇ。援護するぜ――っと!」
那戯が身体を丸めて転がった。
男が脇のホルダーからもう一挺銃を取り出し射撃したのだ。
「グググッグウグウグ」
男は二挺拳銃をむやみやたらに乱射し出した。首の回路を切断され、思うように身体が動かないのだろう。しかし、無作為に近い射撃は、逆に予測がつきづらく、近づくことが難しい。
そこで、華は常に相手の死角に回り込む動きをした。一度ダメージを与えられたことにより、男はどうしても華を警戒してしまう。なんとか視界にとどめておこうとして、他の二人への注意が散漫になる。
さらに、那戯が男の動きを止める。素早く懐にもぐりこみ、長槍で脇腹を突き、着火する。
「ガガガッ!」
衝撃により今度は大きく体勢を崩した男の腹部を、「チェストッ!」と橋三が薙ぎ払う。二度の爆破で服が破け、肌がむき出しなっており、うっすらと装甲の隙間が浮かび上がっていたのだ。
一閃。
「お見事」
華がパンと手を叩く。
それを合図に、男の腹が横に裂けた。盛大に火花が散る。内臓ではなく、色とりどりのコードがこぼれだしていた。
「そ、ンし、さま……」
それでも動きを止めようとしないのは、機械の性か、はたまた執念の賜物か。
「もういっちょ、いくぜ」
那戯が槍の石突きで男のこめかみを殴り、華が太股にナイフを突き立て、橋三が二の腕を斬り裂く。
こうして、ようやくレイが現場に到着したときにはすでに、襲撃者は膝を折った姿勢で全身から放電しつつ沈黙していたのだった。
▽第参章 銀幕市時間 十一月二十四日 午前八時▽
「なんとかここまでたどり着けましたね」
予定より半日ほど遅れたかたちになるが、深矢一行は奇族の出城に到着していた。
遅延の原因は軍馬の不足であり、その元凶となった襲撃者はいま彼らの手の内にある。
橋三、華、那戯の連携によって無力化されたサイボーグを、今後のために利用しようと言い出したのはレイだった。
動作不良を起こして身動きできないでいる男の首筋にコネクタを見つけると、レイは自身のこめかみにあるコネクタとそれとをコードを使ってリンクさせた。
ハッカーである彼にとって電子戦は得意分野だ。ものの数秒で、電脳内部へと侵入を果たす。
彼の眼前にどこまでも広がる真っ黒な世界が展開した。星のない夜空に似ている。スーツの男の脳内世界とでも言おうか。レイ自身はネットダイブする際の姿――両目に包帯を巻いた白服の男――になっていた。
「さて、まずは自滅プログラムの類を解除しねぇとな」
レイが無造作に手を振ると黒い世界にぱっくりと穴が開き、色とりどりの小さな正四面体が顔を覗かせた。ひとつひとつが何かしらのプログラムを具現化したものだ。
レイはなんの迷いもなく、そのうちのひとつを手に取り、握りつぶした。
途端に舌打ちが漏れる。
「ブービートラップか?!」
たしかに彼が破壊したのは自爆装置起動用のプログラムだった。これで男のボディが物理的に爆発することはなくなったのだが、それと同時に、その正四面体から伸びていた導火線のような細い糸にオレンジの光が走ったのだ。糸はあらゆる正四面体に複雑につながっており、オレンジの光が到達した正四面体はものすごいスピードで自壊している。
「させるかよ!」
レイはその五指から、同じような光の糸を放出した。糸は何十、何百と先端を分裂させ、自滅の連鎖を促す糸を瞬く間に切断していった。
現実世界に立ち戻ったレイが目を開くと、橋三が心配そうに見つめていた。
「滝のような汗だぞ」
「ん? ああ、ちょっとばかりしくじってね」
「珍しいな。おまえがしくじるなんて」
と、からかうように言ったのは那戯だ。
「ふん、俺とこいつは出身映画が違うんだぜ。使われてる技術も違う」
「つまりデータを奪いそこねたってことか?」
「勘違いするな。これから奪うんだ」
レイは宣言とともにロケーションエリアを使用した。彼のロケエリの効果は、世界のデータ化だ。敵サイボーグだけでなく、那戯や橋三までもが数値化されていく。つまり、肉体のすべてが意味を持つ記号に置き換えられ、0と1の二文字が人の形をとっている姿になった。
自らの肉体の変化に皆が騒ぎ出す前に、レイは記号の羅列と化したサイボーグの身体に触れて、すべてを吸い取った。
「は」
息を吐いて、元に戻った身体をぱたぱた触っているのは橋三だ。華と那戯は特に狼狽した様子はない。
サイボーグは影も形もなくなっていた。すべてレイの中に収納されてしまったのだ。
「これで荷物にはならないだろ。これからじっくり解析してやるぜ」
「まずはホトリ殿に会おう」
深矢の言葉は提案ではなく確認だった。
この数日間、彼らは移動だけを行っていたわけではない。出城に到着したあと、どのように鬼王へ接触を図るか、その準備を着々と進めていた。
華は、特に奇策を弄する必要はなく堂々と正面から謁見を求めることを提案し、武士である橋三はその点に関して最初から無策であった。かといって、那戯にしろレイにしろ、具体的な良い案があったわけではない。
そのようなとき、佐野原冬季(さのはら とうき)から連絡があったのだ。古くさい手段ではあるが伝書鳩が手紙を運んできた。冬季は『計画者』と呼ばれる存在で、銀幕市で起こったいくつかの大きな事件やイベントに関わりのあった人物だ。その彼が「今回の鬼王の心変わりはすべて私が仕掛けたこと」だと言うのだ。
全員が、罠かと訝しんだのは当然の心の動きだった。
そのような状況下で、ひとりだけ彼の主張をすんなり受け入れた者がいた。
「要するに、あいつの仕事は終わったんだろ。じゃあ、次は俺からの依頼を果たしてもらおうかな。まずはホトリの救出からか」
那戯だ。
「どういうことだ?」
華が殺気すらこめて睨みつける。
「どうもこうもない。前もって冬季に、もしこの空瀬たちの世界でなにかしら仕事を引き受けることがあれば、俺に連絡してくれと依頼しておいただけさ」
那戯は肩をすくめてやり過ごした。
高天原会戦のあと、なにかしらの事態が起こることを予期して、彼はすでに手を打っておいたのだ。
「では、その冬季殿に、仕事を依頼した黒幕を訊ねれば?」
勢い込む橋三に、那戯は「それは無理ってもんだ。あいつもプロだからな。依頼者の秘密をバラすはずがねぇ。だからこそ、俺も安心してあいつに依頼を出してるんだからな」と答えた。
「とりあえず、さっきも言ったように、奇族の中でも穏健派のホトリを、鬼王へのパイプ役にしちまおう。それが手っ取り早い」
そのホトリが、冬季の手により牢獄から助け出され、彼らを待っているはずだった。
▽第四章 銀幕市時間 十一月二十四日 午後三時▽
鬼王の居留地から少し離れた場所で、ホトリは一行を待ちわびていた。住む者のいなくなった破れ寺が待ち合わせの目印だった。
「銀幕市民のみなさんですね。それに、九神軍の弦深矢殿」
ホトリはその目立ちすぎる銀髪を隠すため外套のようなものを頭からかぶっていた。
「あんたがホトリかい?」
那戯が馬から下りつつ慎重に訊ねる。
「この髪を見れば確かだとは思いますが」
外套をはずしたホトリの頭髪は、たしかに前情報どおり奇族には珍しい銀色だった。
それでも警戒の色を解かない那戯に、華が一歩前に出た。
「この男はホトリだ。私が保証しよう」
「神凪、華……来ていたのですね」
ホトリの心中は複雑だ。それもそのはず、彼らは高天原会戦にて顔を合わせているのだ。それぞれ鬼王軍副将と捕虜という立場で。さらに、ホトリは華が暗殺者であることを見抜けなかったという失態を犯してもいる。
「まさか……まさかあなたが暗殺者だったとは思いも寄りませんでした」
ようやく絞り出した言葉だった。
「私は、気づくならおまえだと、最も警戒していたんだがな」
華は過去のことなど気にした風もなく、正直な心情を述べた。そこに余計な感情などない。華にとっては任務を遂行しただけであり、これからも任務を遂行するだけなのだ。
それがわかって、ホトリの中のわだかまりが少し溶けたような気がした。
「買いかぶりすぎですよ」
ホトリも華も微苦笑した。
「立ち話もなんだ。中に入って話し合っては?」
橋三が寺へと足を向ける。レイが「これまたボロいな。ま、屋根があるだけましか」と毒づきながらもつづく。
中に入った一同を、蜘蛛の巣にまみれた神像が出迎えた。奇族の神らしく、頭頂に角が生えている。参拝者のための椅子が散乱していたので、使えそうなものを見繕って、それぞれ腰かけた。
「まずは自己紹介しておきましょう。九神軍六番隊副将、弦深矢と申します」
最初に深矢が名乗った。夜鞍は万が一のため逃走経路を確保すべく別の場所で馬とともに待機している。
「俺は続那戯だ」
「橙色の髪――あなたが九神軍の軍師ですね。同じ軍略を学ぶ者として敬意を表します。高天原ではお見事でした」
「ま、あんたもなかなか上手くやった方だと思うぜ」
謙遜するどころかにやりと笑う。ホトリは苦笑するしかない。
「私は必要ないだろう」
華だ。肩のあたりでバッキーが自分の存在を主張していたので、ホトリはそちらに礼をした。
「レイだ」
彼は、自重で椅子が壊れやしないかとそちらばかり気にかけつつ、ホトリにはさして興味もなさそうだった。
「うむ、拙者、清本橋三と申す」
最後に橋三が一礼する。
途端にホトリは目を瞠った。橋三の顔をまじまじと見つめている。
「俺の顔になにか?」
「テンシツ殿……い、いや、テンシツ殿は亡くなられたはず。これはいったい……」
その台詞で、橋三も納得した。銀幕市ではよくあるアクシデントだ。
「俺がそのテンシツ殿に似ているというのであろう?」
ホトリは息を呑み首肯した。
「おそらく俺を演じた同じ役者が、その人物も演じておるのだ」
橋三が理屈を説明すると、ホトリは「頭では理解できますが、気持ちは納得できないものですね」と微妙な感想を漏らした。それもまた銀幕市民には慣れっこの感情だった。
「では、鬼王に謁見を求めるにあたり、まずは状況を整理しましょう」
深矢の主導で作戦会議が始まった。
「最初に九神城の現状だな」
那戯が懐から一通の手紙らしきものを取り出す。
「こいつは佐野原冬季がついさっき送ってきたもんだ。こいつによると、九神城はなんとかもちこたえてるらしい」
当初の予測では城に立て籠もるのは容易とのことだったが、彼らが旅立った翌々日にかなりの被害を受け、なかなかに苦しい戦いを強いられていると知ってはいた。知ってはいたが、あらためて聞かされると気がせく。
「俺があのとき、しくじらなきゃ……」
レイが珍しく怒りを表に出す。あのときとは、襲撃者を撃退したあと、敵サイボーグを虜囚にしたときのことだった。
レイが敵の電脳にダイブしデータを収集しようとしたとき、トラップにひっかかってしまい、データの一部をロストしてしまった。その復旧作業に手間取り、時間という最も貴重な資源を浪費してしまったのだ。
なんでも九神城の仲間たちが苦戦したのは、銀幕市とこの世界とをつなぐふたつ目の通路から敵が攻め込んできたことが原因らしかった。
自分たち以外の銀幕市民が敵として現れている以上、市役所のトイレ以外にもこちらの世界への入り口があるのではないか。それはレイが常々疑問に思っていたことであり、今回作戦に参加した他の誰もが思い至らない点でもあった。
那戯は事前に、市役所の扉付近におかしな人間がいなかったかを、手下たちに調べさせている。その結果、高天原会戦以降、誰も銀幕市からこの世界へ移動した者がいないとわかっていた。もちろん逆は幾度かあった。空瀬将軍はレヴィアタン討伐のため銀幕市に赴いたし、九神軍がマツタケ狩りのため全軍をあげて銀幕市に押し寄せたこともあった。そこまでは、那戯も調査していたのだが、もうひとつの入り口の可能性までには手をつけていなかった。そして、それは九神城の守りにつく者たちも同じだったのだ。
レイ以外誰も第二の通路について考えを巡らせなかった。
レイたちが襲撃者を捕らえたのが二十一日の夜。ふたつ目の扉から現れた敵によって、九神城が混乱の渦にたたき落とされたのが、二十二日のこと。レイがデータの解析を終え、ふたつ目の扉の場所を知ったのが二十三日の昼。彼の後悔も当然。二十一日の夜の時点で、すべての情報を手に入れていれば、九神城へ注意を促すことができていたのだから。
「過去を悔いても仕方がない。私たちの任務は一刻も早く戦争を止めることだ」
華が腕組みしながら言った。
「すべては仕組まれていたことだったんだからな」
眼光が鋭さを増す。
レイが捕虜から得たデータは、第二の通路に関してだけではない。今回の一件には黒幕がいることもまた判明したのだ。その輩に名前はない。ただ、尊師と呼ばれる指導者がいることだけが確か。『計画者』である冬季を雇ったのも尊師であり、その狙いは鬼王軍に銀幕市を攻めさせることだと、サイボーグの記憶データが告げていた。
「かようなこと、断じて許さぬ」
それを聞いたとき、高ぶる感情のあまり、橋三などは刀の鞘を地面に突き立てたものだ。
さらには、尊師率いる組織が、過去銀幕市を騒がせたデパート占拠事件や市長暗殺未遂事件などにも関与していたことが明らかになった。
「へぇ、あのときの……」
と呟いたのは那戯で、彼はデパート占拠事件を解決したメンバーのひとりだった。
もちろん現時点で彼らにどうこうできる問題ではなかったため、すべてが解決してから那戯が対策課に報告することにして、その場は納めた。一抹の不安を抱きながらも、ひとまず差し迫った事態に対処することにしたのだ。
「んじゃあ、ホトリ。佐野原冬季からは詳細を聞いてねぇんだ。どうやって鬼王があんたらを裏切り者と思い込むようになったのか聞かせてくれ」
那戯にうながされ、ホトリが事の顛末を話し出す。
鬼王のもとを現れた冬季が、ホトリを裏切り者として告発したこと。ホトリと九神軍が密談している様子を、写真なるもので証明したこと。それを信じた鬼王がホトリら穏健派を地下牢に閉じこめてしまったこと。聞いてみれば、意外と単純な手法だった。
「単純だけど、効果的だなぁ」
那戯が思案顔で天井を見上げる。
「写真の真贋の見極めは、余裕だよな?」
レイに向けた言葉だ。
「は? 俺を誰だと思ってんだ。どうせチャチな合成写真の類だろ? なんなら奴らの目の前で、フルCGで一から同じものを作ってやろうか」
「それが一番効果的だろう」
華も賛同する。
「実演、だな。それが手っ取り早い」
その後、謁見に関して密な打ち合わせが行なわれた結果、交渉に臨む役は華に決まった。那戯はサポート役だ。
「あとは、どうやって鬼王に会うか、だな。闇夜に乗じて侵入するのはどうだ? 寝てるとことか風呂に入ってるとことかを襲う。楽しい夜這いってわけだ。あんた、出城の内部事情に詳しいだろ? 秘密の通路なんかも知ってんじゃないのか?」
レイの質問に、ホトリは難しい顔をした。
「私が逃げ出した時点で、そこは警戒していると思います。王族だけが知る密路もあるでしょうが、あいにくと私はそこまで知らされていません」
「真正面から謁見を求めても、前回の使者のように首を斬られて終わるだけでしょうし」
深矢もずっと良い知恵が浮かばないでいた。
実際、このときまで誰も有効な手段を持ち合わせていなかったわけだが、先ほど明らかになったとある事実が那戯に人の悪い笑みを浮かべさせた。
「ひとつ、いい手があるぜ」
▽第五章 銀幕市時間 十一月二十四日 午後六時▽
奇族の出城に珍奇な客が来訪したのは、夕闇が迫る刻限のことだった。
「開門を願おう」
門番の小鬼にそう申し出た者たちは、目深に外套をかぶったいかにも怪しい一団だった。人数は計六名。
「誰ぞ知らぬが、ここは鬼王様の出城ぞ。斬って捨てられる前にさっさと立ち去れ」
邪険な態度をとる小鬼に、先頭にいた男が黙って外套を取り去った。
「誰に対してものを言っておる?」
威圧的ともとれる口調に、苛立ちを爆発させそうになった小鬼は、外套の中身を目にした途端、口を閉じるのを忘れたまま惚けてしまった。
「よもや、わしの顔を忘れたわけではあるまい? それとも、つまらぬ噂を信じておったか?」
「て、て、て、て、て、て、テンシツ様?!」
小鬼は混乱のあまりその場で一回転すると、ぱたりと倒れ、土のうえに額をこすりつけた。
「も、も、も、申し訳ございません。まさかテンシツ様が生きておいでとは……」
それもそのはず、鬼王が最も厚い信頼を寄せていたテンシツ将軍は、高天原会戦で討ち死にしたはずだった。御首(みしるし)こそ見つからなかったものの、黒衣の若者によって斬られる場面を確認した小鬼がおり、鬼王はたいそう悲しんだものだ。
そのテンシツ将軍が現れたのだ。小鬼の狼狽ぶりもむべなるかな。
慌てすぎて足をからませつつ奧へと消えていく小鬼を見送り、テンシツ将軍はばつの悪そうな表情をつくった。ふり返ると、仲間たちが皆一様ににやにやしている。
「名演技だぜ」
レイがからかうと、橋三はさらにやるせない感じでため息をついた。
死んだ人物になりすます。しかも同じ人物が演じたムービースターなので、容姿でばれることは絶対にない。那戯の作戦は功を奏しつつあるが、当の本人はあまり乗り気ではなかった。死んだと思っていた大切な人間が生きていたと、ぬか喜びさせるのは忍びない。
「人を騙すのはあまり好きではない。特にこのような真似は――」
「これが一番穏便に済む方法だ」
確かに那戯の言うとおりであり、だからこそ橋三も渋々ながら承知したのだったが。
ほどなく、必要以上に丁重な扱いを受けた一行は、鬼王と顔を合わせるため謁見の間へと通された。こうして彼らは第一関門をすんなりと通り抜けることに成功した。
もともと武家の出であったこともあり、現在の鬼王は非常に気性が荒かった。戦場においては無類の武功を立てた彼だが、過去幾多の先王が示してきたように、反動として宮廷内では疎まれる存在でもあった。文官職を軽んじる言動が目立ち批判を受けた折りにも、十名以上の高級官僚をいっせいに処罰し、皆を震え上がらせたものだ。
まるで抜き身の刀のような鬼王が、王としての地位を保てたのも、テンシツ将軍という鞘があったればこそ、とは奇族であれば誰もが知っていることだった。それほどまでに、鬼王はテンシツ将軍を必要としていたのだ。
そのテンシツが死んだと聞かされたときの鬼王の狼狽ぶりは大変なものだった。暴れる王をなだめようとして、何人の小鬼が犠牲になったことか。
そして、いま謁見の間にて対面した男は、まさしくテンシツそのものであった。
「おお! テンシツ! よくぞ、よくぞ生きて……」
それ以上は言葉にならない。
玉座から立ち上がり近寄ろうとした鬼王を、テンシツ自身が制した。
鬼王が首をかしげる。
「お待ちくだされ、鬼王殿。俺はテンシツ将軍ではござらぬ」
思わぬ告白に、鬼王は目に見えてうろたえた。
「なにを言っておる。おぬしは、どこからどう見てもテンシツではないか」
「拙者は清本橋三と申す者。銀幕市より参った、人族の使者でござる」
銀幕市と人族という単語に、鬼王の顔が曇った。後方に控えていた那戯、華、レイ、深矢、ホトリが外套脱ぐ。
「ほ、ホトリか?! それに、アヤカシども?」
「鬼王様、勝手ながら牢を抜け出したことをお赦しください」
ホトリが跪いた。
「脱獄の罪は甘んじて受けましょう。なれど! この場は是非、この者たちの話をお聞きくだされ。なにとぞ!」
徐々に事態が飲み込めてきた鬼王の身体が震えはじめる。集まっていた武官たちもようやく動きだし、刀を抜いて橋三たちを取り囲んだ。
「我々は争いに来たのではない」
華が丸腰をアピールするように外套をすべて脱ぎ去った。彼女が身につけていたのは、黒いモーニングスーツに黒い手袋だった。それは謁見に際しての正装であり、害意のないことを表す意味があった。バッキーは肩につかまっている。
他のメンバーも両手を上げて無抵抗を示した。。
「九神軍総大将神裂空瀬の命を受け、和平の交渉に来た。神凪華という」
「事ここに至りてもまだ、アヤカシどもは和平などとぬかすか!」
激高した鬼王は怒髪天を衝く勢いだ。騙されていたのだ。当然の反応だった。
「もう一度言おう。我々は争いに来たのではない」
華は一歩も退かない。
「なにを根拠にそれを信じろと?」
「もし私が戦いに来たのだとしたら、とっくに鬼王殿の御首をとっている。私はフツツ将軍を暗殺した者だ」
物騒な一言に、包囲の輪が狭まる。鬼王は呆気にとられて一瞬言葉を失ってしまった。
「わしを虚仮(こけ)にしているのか?」
「そうではない。事実をただ伝えているだけだ。そして、これから伝えることもまた事実でしかない」
堂々というよりは、淡々としたした口調で話す華に、鬼王は苛立ちをさらに募らせる。
感情的になっている相手にとって火に油を注ぐかのような行為ではあるが、こちらも感情をぶつけては交渉にならない。まずは激情を発散させて、鬼王の精神状態を、話が耳に入る状態にまでもっていくことが肝要だった。「こっちがまともに話しかけたって、鬼王は怒るわけだろ? だったら、わざと怒り狂わせて、その波が静まったあとに交渉に入った方がいい」とは作戦を立てた那戯の言だ。
「裏切り者たちの話など聞く耳もたぬわ! こやつらを斬って捨てよ!」
鬼王の命により、武官たちが殺到しかける。
レイのコートが翻った。
数人の武官が、折れた――いや、切断された刀を手に腰を抜かした。
「さっき華が言っただろ? もし俺たちが戦いに来たのだとしたら、とっくに大将の首をとってるってな」
爪先に仕込んだチタンカッターは鋼鉄など容易く斬り裂いてしまう。
銀幕市民は武器など持たずとも恐ろしい戦闘能力を有している。先の会戦で嫌と言うほど思い知らされた事実を、奇族たちはこの場で再認識せざるをえなかった。
場に沈黙が落ちた。
このタイミングで華は、フツツ将軍を暗殺した際に邪魔をした集団について話をした。そいつらが奇族の味方のふりをしていることを分らせるには、そこから話すことが適当と思われたからだ。
華は事実を告げ、そして待った。こちらから畳みかけず、相手が自ら結論に到達するのを待っているのだ。
鬼王の怒りはおさまらないままだったが、レイの動きにより肝を冷やされたこともあり、黙考しているようだった。
「それで、そいつらがどうしたというのだ?」
鬼王の反応に、那戯がほくそ笑む。こうなれば交渉の席に着いたも同然だ。計画どおりだ。
「佐野原冬季という人物をご存知ですね?」
那戯が、華の横合いからすっと前に進み出る。
「おぬしは?」
「続那戯。九神軍では軍師と呼ばれています」
つづいて、同じ集団によって冬季が雇われていたこと、彼こそが裏切り者であったことを順序立てて話した。元弁護士である彼ならではの滑らかな論調に、奇族たちは黙り込むしかない。時折、文官たちから反論の声があがったが、那戯の論理的な返答に再び口を閉ざすしかなかった。
「それでは、写真なるものも偽物だというのか?」
かろうじて怒りをたもちながら、鬼王が文官のひとりに指図した。その者が素早く差し出したのは、冬季が撮影したという、人族とホトリの密談の証拠写真だ。
「写真は、この世界にない技術でつくられたものだ」
華が歩を進める。
彼女が暗殺者であることを知った鬼王は、少しだけ警戒し、それでも王者の風格で威風堂々と前に進んだ。
鬼王と華が向かい合う。
「細工の余地がある」
華は鬼王から写真を受け取ると、ディーラーがカードを配るように、そのうちの一枚をレイに向けて飛ばした。
受け取ったレイは、さっと眺めてから、「フン、子供騙しだな。俺ならもっと精巧なやつが作れる」と言って、写真を両手の平で挟んだ。「ほらよ」と、今度はレイが華に向かって写真を飛ばす。
華はそのままそれを鬼王に手渡した。
「むぅ、これは……」
絶句した鬼王に、何事かと文官も武官も興味を示した。鬼王が、手近な文官に写真をわたすと、全員が目を通した。
たしかに空瀬とホトリが密談している場面が映っていたはずの写真は、空瀬と鬼王が握手を交わしている写真へと変化していた。鬼王が冬季を信用していた拠り所が一気に崩壊した。家臣たちも一様にざわめいている。
「その写真は人族と奇族の仲を裂こうとする罠でござる」
橋三が真摯な態度を示すと、鬼王にはまるでテンシツにそう言われているように思えてくる。これもまた那戯の狙った効果だった。
華が退き、那戯が出る。ここから先は、華では無理だ。彼女には向いていない作業だから。
「鬼王様は義によって兵を挙げたにすぎません。ウツツヒとアヤカシの間に成り立ったはずの信義を、守るために立たれたはず。しかし、義によらず、ウツツヒ、アヤカシの双方に非道を示したのは、尊師なる人物です」
騙されたとあっては鬼王も退くにひけない。彼は一国の主であり、奇族の代表なのだ。那戯は鬼王に非がないことをアピールして、引き際を与えているのだ。しかも、奇族や人族といった人族の言葉ではなく、ウツツヒやアヤカシといった奇族の言葉を使い親近感を演出している。
「尊師の非道はしっかりとアヤカシの空瀬総大将にも伝えましょう。総大将であれば、ウツツヒとアヤカシの共通の敵が尊師であることをすぐに理解してくれましょう」
これは、九神側が、鬼王が騙されて約定を違えたことを問いたださないと約束する提案だった。すべての責任を尊師とその一団に押しつけてしまおうという魂胆だ。
いまだ王としての誇りと妥協との間で揺れ動く鬼王の背を押すべく、那戯はとどめの一言を放った。
「実は、尊師という男。今回、銀幕市でも数々の悪行を働いていることがわかりました。我々はこの世界での出来事も、銀幕市の首長に報告するつもりでいます。銀幕市でもすぐさま、この尊師を捕らえるべく動きがあることでしょう」
暗に、銀幕市民の敵は尊師であり、奇族ではないことを宣言したのだ。尊師の一団を、奇族、人族、銀幕市の三者の共通の敵におとしめることで、誰の顔にも泥を塗らずに事を済ませようという、ある意味痛烈な計略だった。
鬼王はついにあきらめ、ため息をついた。
「よくわかった。これ以上、城攻めをつづけても無駄のようだな。兵を退こう」
その発言は、那戯の策略に乗ることにした証拠だった。
橋三とホトリと深矢が顔を輝かせ、華とレイは不敵な笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。これで無益な血が流れることもないでしょう。鬼王様の英断に感服いたしました」
「ふん、おぬしは口が上手い」
苦り切った口ぶりの鬼王に、那戯は恭しく一礼してみせた。
「ただし、その尊師とやらをわしは赦せぬ。そやつを捕らえる際には、我が鬼王の軍も力を貸そう」
「ありがとうございます」
こうして、すぐさま停戦を伝える伝令がつかわされ、三日後となる二十七日には九神城での攻防戦が終結することになったのだった。
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クリエイターコメント | まずは私事により納品が大変遅れてしまったこをお詫びします。
さて、ようやく鬼王軍の誤解も解け、人族と奇族とは真の平和へと向けてともに手をたずさえることができそうです。これもPCの皆様の活躍のおかげです。
今回のシナリオにおいて、一番の正解と決めていたのは、第二の通路の存在でした。 ほぼノーヒントの状態でしたので、そこをプレイングにて押さえられた場合、無条件降伏するつもりでいました。 そして、ノベルを読んでいただければわかるように、その点に触れてらしたのはレイ様だけでした。 ところが、レイ様が参加されているのは、謁見シナリオであって守城シナリオではありません。そこで、正解だったものの、若干手遅れだったという結果にさせていただきました。条件付き降伏ですね。 というわけで、レイ様、参りました。
次に重要な判定基準として決めていたのが、移動手段です。 こちらは、あまり有効と思われる手段が出なかったため、おもいっきり時間がかかったことになっています。華様の、トイレのドアなんだから〜というプレイングには納得しましたが。 時間がかかったことにより、城へのダメージが上がったとお考えください。
また襲撃者に関しては、倒すことよりも、捕らえて役立てるという部分を正解としていました。 これもレイ様がビンゴだったことになりますね。 これによって、敵の正体がわかりました。
最後に、謁見までどうやってこぎつけるか、その手段です。これも正解を決めていたのですが、橋三様のプレイングが独創的でしたので、なるほどと思い、それを正解としました。
主な判定個所はこの四つです。四つのうち三つが成功していますので、シナリオ全体としては大成功ということになっています。
これにて空瀬と鬼王の戦いは終結したことになります。 しかし、もちろん、尊師とその一団の件がまだ未解決のまま残っています。アヤカシの城の次なる展開にご期待ください。 |
公開日時 | 2008-12-05(金) 19:30 |
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